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江別の開拓のはじまり「越後村」の名をしのばせる越後沼を訪ねる [我がまち江別]

江別市の開拓について調べると、屯田兵の開拓とほぼ同時期に「北越殖民社」という民間会社が江別の開拓に乗り出します。1886年(明治19年)、新潟県長岡で、北越戦争で焦土と化した長岡の復興に尽くした三島億二郎、実業家岸宇吉らが、越後農民の移民による北海道開拓を目指し同社を設立します。

その年、江別太に入籍し「越後村」として農村開拓がはじまりますが、1889年(明治22年)「北越植民社」社長の大橋一蔵が急死。関矢孫左衛門が後を引き継いで2代目社長になります。

関矢孫左衛門は、以前、「私の好きな場所、江別の千古園は私のパワースポット」でも少し書いたのですが、関矢孫左衛門の住居跡地で、関矢孫左衛門の爪、髪などを埋葬した留魂碑があり江別市の指定文化財が千古園です。

その千古園近くにあるバス停ですが・・・

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「殖民社」というバス停名です。私の想像ですが、この名は「北越殖民社」の開拓を伝えるものと思ってます。でなければバス停としては「千古園前」にしますよね。(#^^#)

ちょっと話が回りくどいのですが・・・

「越後村」を調べると、石狩川と夕張川の合流点にかかる美原大橋を左に見ながら国道12号を岩見沢方向に走ると、ほどなく道路左側の住所は江別市江別太ですが、そこが越後村と通称される地区です。

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13年ほど昔なら国道に「越後」というバス停があったそうで「越後村」の名をしのばせるでしょうが・・・現在はありません。

ということで、先ほどの「殖民社」というバス停ですが、是非残して欲しいと思うのです。(-_-;)めちゃ回りくどい話でした。

他に「越後村」の名をしのばせるものを探すと、「越後神社」と「越後沼」というのがあります。

「越後神社」に関しては、「第2回、再発見・江別探訪~バスで巡る開拓の軌跡~」で偶然ですが行ったので残るは「越後沼」です。


と言うことで、「越後沼」へ行ってみました。

「越後沼」って何処? 早速Windows8のスタート画面の新しい地図ソフトで検査しますが、( ̄▽ ̄;)!!表示されません。まあ想像通りですが・・・

googleマップで検索です。「江別市 越後沼」で一発でヒットしました。

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 江別東ICの近くです。

地図だと結構大きそうです。沼という位ですから鳥も期待できるので、Nikon D300sに三脚、望遠レンズと車に積み込んで出発です。(^O^)/

普段、高速を使うのは江別西ICなんで、あまり東ICは来ないのですが、脇道に入ると道沿いから沼らしきものが見えます。

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チェーンで封鎖されてるので車を入口に止めて中に入ります。

「道営圃場整備事業東江別地区竣工記念碑」(昭和61年8月6日)と石碑に書いてます。

 

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資料を調べると、この石碑の住所は江別太農村公園内になってるので、ここって公園の中?なの・・・

先に進むと鳥居です。(メ・ん・)?

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ちょっと手持ちの資料では、ここの神社は不明です。神社に向けての道は草が刈られて手入れされてるようですが、入口から何とも殺風景な場所です。(-_-;)

おー!ここが「越後沼」です。

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湿原て雰囲気もありますが、Σ(゚д゚lll)ここから左右含めて進むことができません。

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しばらく観察しましたが鳥の気配は無しです。

写真じゃ分かりませんが、前方には高速道路見えます。対岸には行けないんでしょうか?今度は春先にでも来てみましょう。もしかするとハクチョウなんかが見れるかもしれません。

もう少し進むと湿原ぽい場所へ進む道ないかと車で進みます。

(メ・ん・)?公園です。

DSC_5757.JPG

 

江別太農村公園と看板に書いてます。ここが公園のメインなんでしょうか?

この先、道は越後沼から離れる感じです・・・


以上、江別の開拓のはじまり「越後村」の名をしのばせる越後沼を訪ねましたが、次回、春先のリベンジですね。。(^┰^;)ゞ

 


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