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第2回、再発見・江別探訪~バスで巡る開拓の軌跡~に参加しました [我がまち江別]

8月26日(日)第2回、再発見・江別探訪に参加しました。集合場所は江別市郷土資料 (江別市緑町西1丁目38)で、バスで巡る開拓の軌跡で参加料500円、先着45人です。


天気予報は午後から雨でしたが結果、雨は降らずラッキーでした。(-^〇^-)

集合は13:00江別市郷土資料で15分前には到着した気がするのですが、既に皆さんバスに乗車してて、私が最後?めちゃくちゃ早いんですね。(-_-;)

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バスは夕鉄バスです。

 

郷土資料館を出発して、車中から飛烏山公園、火薬庫、江別市水道庁舎、れんが建造物を見て説明を聞きました。

探訪ガイドは江別市歴史を伝える集いの安藤信行さんです。


出発して最初の説明は飛烏山公園です。「第1回、再発見・江別探訪~郷土資料館の歴史・文化・街並みを探訪しよう~」でも紹介した場所です。


この公園には名称のとおり「飛烏山」があるんですが、山・・・(メ・ん・)? 何となく斜面はありましたが、山あったかなあ?

標高17.5m?危機間違いじゃありません。車中なんで写真撮りませんでしたが、Σ(゚д゚lll)土地の形状と思ってた斜面が山だそうです。日本で15番目、北海道では4番目に低い山だそうです。

「飛烏山」が北海道で4番目と聞くと気になりますよね。当然、自宅で北海道で1番低い山を調べました。サロベツ原野にある標高13.3m「円山」だそうです。ちゃんと三角点もあるとのこと、こんど「飛烏山」も三角点を確認しに行ってみます。(^┰^;)ゞ

次に向かったのは、「火薬庫」です。所在地は江別市萩ケ岡19で江別小学校の側にあります。江別に屯田兵第三大隊本部が明治20年におかれた際に付随して建てられたそうです。

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使用されたれんがに「S」の刻印があり、製造は白石の鈴木煉瓦工場と見られるそうで、3箇所程刻印が確認できますが、左側の側面下部が見つけやすいとのことです。

当然、車中の説明なんで確認できませんが、帰り道なんで寄って見てみようと思ったら同じ様に思った人がいました。(-^〇^-)

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説明では、この辺りなんですが・・・ふたりで探しましたが見つけれませんでした。(^^ゞ

車中での説明の後は、越後神社で下車して説明を受けます。

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私としては「越後」は気になってた場所なんです。ワクワク(#^.^#)

明治19年、新潟県長岡の越後農民の移民による北海道開拓を目指し「北越殖民社」を設立したそうで、本社を長岡に、事務所を「越後村」に置きました。昔は国道に「越後」というバス停名がありましたが現在は無く、「越後」の名前が残るのが「越後神社」と「越後沼」と聞いていた場所です。

開拓紀念碑は明治28年、開村10年祭に向けて建立されました。

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越後神社の向かって左側に「イチイ(オンコ)」の説明がありました。明治28年、屯田兵本部長永山武四郎によるお手植の松です。樹高3m、樹齢120年です。

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樹高3mなんで、光の関係で周りに溶け込んで、どれが「イチイ」なのか一瞬分かりませんでした。(^^ゞ

次に美原神社で下車して説明を受けます。

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神社には狛犬が2体ありましたが、狛犬の台座の文字が消されてます。「支那事変??」と書かれているようです。イタズラではなく意図的に消したんでしょうが、きちんと消さない辺が歴史を伝える意図なんですかね・・・

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開基之碑は昭和39年、美原部落開基70年を記念して建立されました。

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周りには、美原開基百年(平成6年)、美原小学校平行記念の碑(昭和61年)などの新しい碑もあり、共にタイムカプセルを埋めてあるそうです。美原開基百年のタイムカプセルは2024年に掘り出す予定のようで、30年で掘り出すのちょっと早い気もしますが・・・やっぱ生きている間に見たい気持ち分かります。(-^〇^-)


次に篠津神社で下車して説明を受けます。

敷地がめちゃくちゃ綺麗です。(-^〇^-) 何か最近工事が完了したとかで、横には自治会館あるんですが中からカラオケが大きな音量で聞こえます。(^^ゞ

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ここには、開村祈念碑、篠津開基百年、閉校記念、篠津太養蚕室跡の4つの石碑あるんですが、これらも敷地の整備の伴い、移設して綺麗に並べられてます。

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開村祈念碑は、大正4年、開村35周年記念祭で建立されましたが、昭和62年に改建されています。篠津太養蚕室跡の養蚕ですが成功しなかったそうです。


次に榎本公園で下車して説明を受けます。

越後神社、美原神社、篠津神社と見てきたので、何故に榎本公園なの・・・(メ・ん・)?

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ここが江別発祥の地なんですね。いまから290年ほど前(享保年間)、世田豊平川河口に石狩13場所のひとつとして商場が開かれたそうです。明治15年の鉄道開業で人の流れが江別・野幌に移り、明治19、20年にコレラの流行で300人以上の病死者を出す大惨事にみまわれ、対雁(ついしかり)は衰退をはじめたそうです。


公園ですが、普段、人が訪れたり集う公園には思えませんね。(-_-;)


対雁百年記念碑があるんですが、ここに対雁神社があったことが記されています。おー!、ちゃんと神社つながりだったんですね。(-^〇^-)

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他に、対雁開拓にゆかりのある榎本武揚を顕彰し雄志を後世に伝えるために、高さ7メートルの円柱型台座の上に、馬にまたがりフロックコートに脚絆姿の榎本武揚のブロンズ像が建てられています。


最後は、野幌開村緑地で下車して説明を受けます。

バスが到着して駐車する際に車中からエゾリスが見えました。へー、こんな所にエゾリスが出てくるんですね。(-^〇^-)

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開村祈念碑は、大正4年建立です。明治27年に木製の開拓記念碑を建ててますが腐朽し、開村30周年記念の際に建立しています。

野幌開村記念碑は、大正4年、には明治18年と19年の移住出身県とその戸数が刻まれてます。

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そんなこんなで、江別市郷土資料館へバスは戻ってきました。

その他に、開拓の軌跡としては、千古園と野幌神社がありますが今回は資料だけで巡りは割愛でした。

尚、第3回、再発見・江別探訪は「野幌兵村史跡めぐり」が10月10日に開催されます。申込は9月15日から先着50名で江別市郷土資料館です。

野幌地区の兵村ゆかりの地を歩き、天徳寺、野幌開村緑地、ガラス工芸館、野幌屯田兵第二中隊本部、野幌屯田兵屋等を訪ねます。

私は10月10日は予定があり参加できません。残念です。(T_T)

以上、バスで巡る開拓の軌跡でした。

 


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