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明治25年当時の道内鉄道線路図を調べる [道民のオキテ]

道新文化センターの「家の歴史を調べてみませんか」講師:苗字家系研究家の岸本良信先生の教室で、我が家の家系図を作る事を通して、家のルーツや歴史的な背景を勉強をしています。

先日の講座のテーマは「明治時代の北海道への移住」だったのですが、資料は、道外からの移住者に対する「移住案内」という明治の古い文書でした。その中には当時の鉄道に関するものもあり、先生から鉄道ヲタである私に当時の鉄道に関する先生の疑問が質問として飛んでくるのですが、いくら鉄道ヲタといってもメインが模型鉄、乗り鉄、撮り鉄ですから、明治時代の事は全く分かりません。( ̄▽ ̄;)!! という事で宿題じゃありませんが、このままでは鉄道ヲタとして情けなく、改めて調べてみたので、その結果をまとめてみました。という事で、カテゴリー「道民のオキテ」として、今回は明治時代の話です。(#^^#)

調査予定としては、明治25(1892)年、明治44(1912)年当時の道内鉄道線路図、そして、明治時代の旅客列車や所要時間、そして運賃に関してですが、今回は、北海道初の鉄道が開通してから明治25年当時の道内鉄道線路図を調べてみます。

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【参考資料】北海道鉄道なんでも事典(北海道の鉄道の歴史を調べるのに重宝してます)、鉄道と歩んだ街小樽、北海道開発の夢を運んだ鉄道遺産

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北海道鉄道駅大図鑑(駅の開業年が分かります)、日本鉄道旅行地図帳(全線、全駅、そして全廃線が載ってます)

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明治時代の事は全く分かりませんと言いながら、とりあえず参考になりそうな資料は持ってましたね。(#^^#)

【幌内鉄道】

明治元(1868)年に幌内で石炭が発見され、明治2(1869)年に政府機関・開拓使が置かれます。明治15(1882)年からは開通した幌内鉄道で石炭が手宮に向けて輸送されました。これが産炭地北海道の歴史が始まりです。

北海道初の鉄道が開通(手宮~札幌を走り始めた汽車)、明治13(1880)年9月28日、2両の機関車(義経号、弁慶号)とレールなど資材を積んだ帆船トベイ号が小樽に入港。ただちにレールの敷設作業と並行して機関車の組み立てが行われます。

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上記写真、7100形:しずか号(小樽市総合博物館)

資材が到着して、わずか2ケ月後の11月28日に小樽(手宮)~札幌35kmの路線が開通しました。この幌内鉄道の開通は、明治5年(1872)10月の新橋-横浜間、明治7年(1874)5月の大阪-神戸間に次ぐ鉄道ですから、日本で3番目に開通した鉄道です。しかし、幌内鉄道の目的は、幌内炭鉱の石炭を運び出すことにありますから、札幌までの開業はその通過点に過ぎませんでした。

この日本で3番目に開通した幌内鉄道ですが、実は、4番目なんです。幌内鉄道が開通する9ケ月前の明治13年2月17日、岩手県の釜石鉱山から釜石製鉄所間の全長27km(釜石鉱山鉄道)が開業しています。但し軌間838mmの鉄道で、開業からわずか3年後に製鉄所が操業停止にともない運行休止となったことなどから歴史上はあまり目立たない存在となっています。そんな事で繰り上げ当選じゃありませんが、幌内鉄道が日本で3番目の鉄道と言われているのです。

軌間(きかん)は、鉄道の線路を構成する左右のレールの間隔。軌間1435mm=標準軌:東海道新幹線や東北新幹線そして北海道新幹線。軌間1067mm=狭軌(きょうき):幌内鉄道を含めてJR在来線。軌間762mm=特殊狭軌:黒部峡谷鉄道、我がまち江別にあった江当鉄道(昭和2年~昭和11年廃止)

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上記写真、江当鉄道の様子(小樽市総合博物館)。江当鉄道の資料は少なく、同博物館で写真があったので、ちょっと感激したのを覚えています。(^^♪

【手宮線、幌内線】

明治13(1880)年11月28日、手宮-札幌間(35km)が開通。手宮駅、開運町駅(南小樽)、銭函駅、札幌駅の開業。但し、この年は17日間運転し積雪で翌春まで運休。
明治15(1882)年11月13日、手宮-幌内間が全通。岩見沢駅(本線)-三笠駅(支線)-幌内駅(支線)。仮営業ながら手宮~幌内の全区間を通した列車の運行が始まり、幌内の石炭を手宮港に運ぶという、この鉄道本来の目的が果たせましたが、同年11月末には降雪のため、このシーズンの営業を終え翌年の4月まで札幌-幌内間を全面休止(手宮-札幌間は1日1往復に減便)しました。
明治16(1883)年9月17日、手宮-幌内間が全通の開業式典を開催。(運転開始10ケ月後)
明治21(1888)年12月、幌内線終点:幾春別駅(本線)開業。
明治22(1889)年12月、幌内鉄道は北海道炭礦鉄道の経営となる。線名は「幌内線」となる。
明治23(1890)年1月、北有社が解散。この年から除雪体制を整え、札幌~幌内の区間が通年運行となりました。(北海道炭礦鉄道は石炭運搬船を所有し海運業にも進出)

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明治34(1901)年9月、手宮-岩見沢間を「手宮線」」に改称。
明治42(1909)年10月、鉄道路線名称の制定により小樽-手宮間の線名「手宮線」。岩見沢-幌内・幾春別間の線名「幌内線」。函館-旭川間の線名「函館本線」となる。
昭和60(1985)年21月、「手宮線」を廃止。
昭和62(1987)年7月、「幌内線」を廃止。

【幌内鉄道初めての列車発着時刻表】

明治14(1881)年4月1日、幌内鉄道初めての列車発着時刻表は、列車は午前9時頃手宮駅を出発して正午に札幌駅着。折り返しは午後2時30に発して、午後5時30分に手宮駅に着く。片道約3時間1日1往復。途中の開運町駅と銭函駅の停車時間(35分)を除くと、実際の所要時間は2時間25分ほどで時速20kmという事になります。「義経」と「弁慶」の最大速度は50kmなので安全に走らせたようです。この時の時刻表では、銭函-札幌間は70分の所要時間です。

明治14(1881)年6月11日、札幌の発展に合わせて利用客と食料、建築資材の輸送が増加。「義経」と「弁慶」の2両を使用して1日2往(復混合列車)に増便。列車は並列車と荷物列車の2編成で、並列車=定員46人の上等客車1両と定員60人の並等客車2両、函車1両、台車2両の6両編成。荷物列車=並等客車1両、函車4両、台車8両の13両編成。片道約2時間40分に改善。銭函-札幌間18.2kmを並列車で40分、荷物列車で50分で走ってます。例えば現在の小樽発-江別行きで手稲に5分停車する普通電車なら銭函-札幌の所要時間32分ですから、並列車の銭函-札幌の40分って、明治時代の先入観から考えると早いですね。

【明治25(1892)年の道内鉄道線路図の疑問】

講座で用いた線路図を見ると、幌内鉄道が開通した手宮-札幌-幌内(幾春別)は、分かるのですが、岩見沢より北上した路線が分からないので調査。その答えは、北海道炭礦鉄道(北炭)の幹線計画にあります。

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明治15(1882)年2月8日、幌内鉄道の建設から運営まで管理していた開拓使の廃止→その後、行政組織を転々として北海道庁(当時は国の行政機関)のもとに置かれる。明治21(1888)年4月、北有社を設立(運行を受託)。明治22(1889)年、北海道炭礦鉄道会社(出資者に福沢諭吉の名もあった)に譲渡。幌内鉄道を受け継いだ北海道炭礦鉄道は、明治23年4月9日、夕張と空知の両炭山開発を進めるため、それぞれの支線とそれが繋がる幹線計画を北海道庁に提出。

【空知線、歌志内線】

歌志内線は、石炭輸送が目的で、北炭と住友、三井の鉱山が多く、貨物の輸送量はその後の多線を大きく引き離します。

明治24(1891)年7月5日、空知線の岩見沢 - 砂川、及び砂川 - 歌志内が開通。美唄駅、奈井江駅、砂川駅、歌志内駅の開業。
明治25(1892)年2月1日、岩見沢-空知太間を開通。

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該当線路の拡大

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明治31(1898)年7月16日、空知太駅を廃止。
明治42(1909)年10月、鉄道路線名称の制定により砂川-歌志内の線名「歌志内線」となる。
昭和63(1988)年4月、「歌志内線」を廃止。

北海道炭礦鉄道が目指したのは、空知一帯での炭鉱開発を進める一方、そこから室蘭までの鉄道を敷く事でした。国に対しての路線の建設許可とともに、北有社から幌内鉄道の施設一式を有利な条件で買い受け、施設の国税免除、囚人を労働力として使う許可などを国に求めました。

【室蘭本線】

函館本線の長万部から、同じ函館本線の岩見沢駅までの211kmと、東室蘭-室蘭間7kmの幹線からなる延長218kmです。石狩地方にある炭鉱から石炭を室蘭に輸送する目的です。

明治25(1892)年8月、室蘭(東室蘭)-岩見沢間が開通。室蘭駅、幌別駅、登別駅、白老駅、苫小牧駅、追分駅、由仁駅を開業。空知地方の炭鉱を小樽、室蘭の2港から積み出す体制が出来上がり、石炭産出量は大きく増える事になります。
明治25(1892)年11月1日、追分 - 夕張間の開通に伴い、現在の石炭の歴史村付近に夕張駅を開業。

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該当線路の拡大

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【東室蘭駅】開業時に室蘭駅と称したので、分かりにくくその後の改称を整理してみます。

明治25(1892)年8月、室蘭駅が開業。開業当時「室蘭」ですが、これが現在の東室蘭駅です。
明治30(1897)年7月、現在の東室蘭-室蘭の開通。室蘭延伸時に現在の室蘭駅が開業、従来の室蘭(東室蘭)→輪西と改称。場所は現在の輪西駅付近。
大正14(1925)年、駅が現在の場所に移転。
昭和3(1928)年、長輪(ながわ)線(長万部-輪西間)が全通。長万部、輪西の両端駅の頭文字をとって長輪線。
昭和3(1928)年9月、「東輪西」に改称。現在の「輪西駅」が開業する。
昭和6(1931)年4月、長輪線は、室蘭本線に編入。現在の「東室蘭」に改称。

おそらく室蘭本線と長輪線の接続地点に東室蘭駅があり、その接続の過程が改称理由といわれています。

以上、北海道初の鉄道が開通してから明治25年当時の道内鉄道線路図を調べてみましたが、次回は、北海道内に拡がる鉄道網として、その後、明治44(1912)年の道内鉄道線路図に続きます。

 


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