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木製戦闘機の飛んだ旧飛行場跡 [江別カルタ&江別探訪]

江別探訪の今回は、木製戦闘機の飛んだ旧飛行場跡へ行って来ました。タイトルにある通り木製戦闘機の話ですから1944(昭和19)年という戦中の話になりますが、いつもにように私なりの表現で書いてみたいと思います。

江別カルタでは「戦闘機 キ-106(いちまるろく)と 呼んでいた」と読まれています。

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このカルタがあった事から今回の探訪に繋がったのですが・・・

このキ-106というのが、昭和18年後半、アルミ合金の不足から日本陸海軍は木材での代用を考慮せざるを得なくなり、外形はあまり変わらないが、胴体、主翼骨組みなど機体構造の大部分を木製化した木製戦闘機であり、敗戦までに試作機を含め立川、王子、呉羽で計10機が完成した戦闘機です。

製作工場のひとつである王子が我がまち江別にあった王子航空機江別製作所だったのですが、私もキ-106に関して江別市郷土資料館にキ-106車輪が展示してある程度の認識でしたが、今回、探訪出来たのは著者:田中和夫「幻の木製戦闘機キ106 (道新選書)」の存在を知り読む事が出来たからです。

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先日の北のローカル列車の旅、日高本線往復6時間に合わせて購入して読みました。さすがに新本を買う気は初めから無かったので、Amazonで中古本を検索して商品299円、送料257円で入手しました。送料と同額ってのも微妙ですが、まあ合計で600円してないので納得価格です。(^┰^;)ゞ

昨日は曇り空でしたが、奥さんも行くというので、雪降る前の最後のサイクリングを兼ねて、折りたたみ自転車で探訪に出掛けました。

江別市郷土資料館(江別市緑町西1丁目38)を訪れると・・・・

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腐食しているジュラルミン製の金属容器が2個展示されています。

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これが1994(平成6)年に発見された金属容器で、終戦から半世紀近くも土中に埋まっていたジュラルミン製の箱です。

その中に収められてた資料は痛みが激しいのですが・・・

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間違いなく戦中の幻の木製戦闘機といわれていたキ-106木製戦闘機が王子航空機江別製作所で作られていた事を示す資料であったのです。(上記写真の展示資料と発見された資料は別物です)

1992(平成元)年に江別市教育委員会が刊行物で、「戦闘機キ-106」を取り上げた際の反響の手紙の一通に、終戦直後に工務課と部品課が保管していたキ-106の資料をジュラルミン製の金属容器2個に入れ、上江別の民有地内の早苗別川畔に埋めた」という内容です。

終戦の3日後には、北部軍司令部から全て焼却を命じられているので、話そのものに信憑性はなかったのですが、通報者と連絡を取り合ってる過程で、存在の可能性を感じたらしく、1993(平成5)年と翌年の1994(平成6)年に発掘調査を金属探知機を用いて実施したそうです。

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道内の新聞各紙は、発掘調査の様子を一斉に報道したそうです。私が江別に移り住んだのが1992(平成4)年で、早苗別川畔周辺も宅地造成が急激に進められていた事は記憶にありますが、発掘調査の報道は全く記憶にありません。

最初に探訪で向かった場所は、そんなジュラルミン製の金属容器が発掘された場所です。

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江別市郷土資料館には、旧江別飛行場・誘導路、発掘場所を示す略図があります。その略図から発掘場所はここだと思われるのですが、発掘当時もそうですが、資料を埋めた終戦時の情景を想像する事も出来ない景色です。

次に王子航空機江別製作所を思い描く場所へと向かいます。

函館本線を渡る必要があるのですが、せっかくなので先日開通した江別駅跨線橋人道橋を使う事にしました。

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前回は最後の使用日に人道橋を利用した話を書きましたが、その後、新しい人道橋を利用するのは初めてです。今回は人道橋の紹介じゃ無いのでここはサラッと話を進めますが・・・

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新しい人道橋は、スロープじゃなく階段なので、自転車はエレベーターを利用できます。これめちゃくちゃ便利です。通勤通学時間帯と違って日中の南北へ渡る利用者は少ないようで、何か俺様人道橋状態で贅沢気分でした。(#^^#)

到着したのは、王子製紙記念碑(江別市王子24)で王子製紙創業101年に当り建立されました。

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王子製紙グラウンド脇にあり歩道から見る事が出来ましたが、行く手は笹に阻まれているとは想定がでしたね。( ̄▽ ̄;)!!

1908(明治41)年、江別工場操業開始。1933(昭和8)年、王子製紙に合併。1944(昭和19)年3月、江別工場の在来製紙施設の撤去完了。1944(昭和19)年10月、王子航空機株式会社設立。

終戦の前年であるそんな時期に、王子航空機を設立してたとは、ちょっと驚きでした。

そんな設立に合わせて、1944(昭和19)年4月に全道から幼き見習工が男女合わせて1千名集められたそうです。

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そんな中には、江別第一国民学校(現・江別小学校)から70名、上記写真の江別第三国民学校(現・江別第三小学校)から40名いたそうです。現小学校といっても国民学校高等科卒で、年齢は14歳だったようです。

午前中は軍事訓練と時局講話と工員としての心得などで、午後からは指導員の笛に合わせてハンマーやタガネを打つ練習とヤスリ掛けの練習がびっしりだったそうで、今すぐにでも飛行機製作に参加できると思った夢は打ち砕かれ厳しい毎日だったとの事です。

現・江別第三小学校前にあるのが、江別市郷土資料館です。

数少ないキ-106の展示物を紹介すると、まずはキ-106の車輪です。

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そしてキ-106の防弾ガラス・・・

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木製飛行機で防弾ガラスが取り付けられてたというのも、素人的には機体の強度面の方が心配ないうな気がしますよね。

壁に立てかけられてる板が、胴体・翼に使用された合板部材です。

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この合板の接着剤にも事欠いていたそうで、なんと接着剤は牛乳カゼインか(含有率3%)ら作ったそうで、全道から牛乳を集めたそうです。当然ですが耐水性、耐久性に劣るといわれてたそうです。

ちなみに王子航空機江別製作所で木製戦闘機を作ろうとしていた頃、北海道工業試験場で試作した木製戦闘機の主翼と増槽が、現在改修中の北海道開拓記念館に展示されているそうです。

次は、1945(昭和20)年4月に施工された滑走路(飛行場)へ向かいます。目指すは江別第三中学校です。

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完成した航空機を製作所から飛行場へ搬送するために約3km余に及ぶ航空機搬送誘導路が通っていたのですが、その一部が江別第三中学校辺りの4丁目通から西北方向5丁目通にかけて斜めに走る道路です。

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確かに斜めに走る道路が一目で分かりました。誘導路跡と知らなければ単に区画整理されてない地区の道路と思いますね。

このまま一気に飛行場を目指そうと思ったら奥さんが気になるお店を発見しました。(#^^#)

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スパイスキッチンHarmony(江別市牧場町23-17)です。営業時間ランチタイム(11:30~14:00)、ティータイム(15:00~17:30)、ディナータイム(17:30~20:00)、定休日(水曜日)

ランチは、スープ・サラダ・メイン料理(4種類から選べる)・ライス・コーヒーそしてデザートで税込1,100円でした。

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奥さんのメインは、きのこデミハンバーグ、私は、チキン香草パン粉焼きマスタード風味です。

初めて入ったお店ですが、チャリで行動すると、こういうお店の発見ができるのも楽しみです。今度はディナータイムに訪れてみたいお店でした。

お腹も満腹になり、飛行場に向けての探訪再開です。(^O^)/

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旧飛行場跡(江別市見晴台9)ですが、元江別緑地という場所です。

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ここから木製飛行機キ-106が飛び立ったのですが、終戦までに王子航空機江別製作所で完成したのは3機です。

1945(昭和20)年6月に1号機が札幌の丘珠飛行場に向かいます。そして同年8月13日に2号機が東京の福住飛行場に向かいます。そして15日の終戦を迎えるのですが、日付不明ですが3号機は江別飛行場を飛び立つのを多くの人に目撃されていますが、行先は不明です。

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史跡も無時に発見です。(^_-)-☆

木製戦闘機キ-106の性能に関して書いておくと、当初の試作機比べ王子航空機江別製作所の1号機の飛行試験の報告は、目を引くそうで、高度7,200mでの最大速度は614kmだそうです。一式戦闘機の「翼」が最大速度が560km、そして零式艦上戦闘機の「零戦」が570kmとはるかに上回ったようです。但し、敗戦の色濃いこの頃に軍部が生産を待ち望んでいたのは「特攻機」だと本書では書かれています。

ところで、元江別緑地が旧飛行場跡だと分かりやすく雰囲気もあるのですが・・・

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方角的には現在の住宅地を斜めに突き抜ける感じだったようです。旧飛行場は長さ2,000m、幅100mが定説になっていたそうですが、1947(昭和22)年に米軍機が撮影した航空写真があり、それを計測してみると、長さが1,300mである事が判明しました。

今回、滑走路の起点と終点らしき場所も撮影したのですが、単なる住宅街で何とも微妙な写真だったので割愛します。

以上、我がまち江別探訪は、木製戦闘機の飛んだ旧飛行場跡でしたが、歴史の懐かしさでは無く、3,600人ともいわれる全道から集められた幼年工や女学校などから動員して、さらに製紙工場の施設を撤去してまでも木製戦闘機を作らなければならない時代があった事を忘れてならないと感じたのでした。

 


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