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再発見・江別探訪~バスでめぐる市内の遺跡~に参加しました [我がまち江別]

日曜日(8月24日)の事ですが、江別市郷土資料館で企画された、「再発見・江別探訪~バスでめぐる市内の遺跡~」に奥さんと参加しました。(#^^#)

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開催日時:8月24日、13:00~16:00、集合場所:江別市郷土資料館(江別市緑町西1丁目38)、参加料500円(バス代)

先程、ブログで確認すると2年前の8月に、同じく江別市郷土資料館で企画した「再発見・江別探訪~バスで巡る開拓の軌跡~」以来の参加なので丸2年ぶりの参加になります。

今回は奥さんも行くという事ですが、奥さんがこの手の企画に参加するなんて珍しい、初めてじゃないでしょうかね。(メ・ん・)?

今回の企画は「野幌丘陵沿いにバスで遺跡をめぐろう!」という事なんですが、江別には野幌丘陵沿いに140ケ所もの遺跡があるそうですが、遺跡って全く身近な世界の話じゃないので、専門家に教えて頂きたかったので、こういう企画に参加したかったんですよね。

江別市郷土資料館で受付を済ませて、航空地図を使って野幌丘陵沿いの本日バスが走るコースを説明受けたら出発です。(^O^)/

江別の遺跡のキーワード(発見される場所)ですが、野幌丘陵は北は石狩川、東は千歳川、西は豊平川に囲まれ、江別市街地が一段と高くなっている場所が、大雑把なイメージですが、野幌丘陵になります。ですから野幌丘陵上の川や沢に面した場所や丘陵のふちに分布しているそうです。

早速、郷土資料館を出発したバスは、坊主山遺跡(対雁)を車中から説明を受けます。

「坊主山」とよばれる古砂丘があり、北海道電力の(最近、北電再値上げで話題の会社・・・)火力発電所が建てらた事は知ってましたが、そんな火力発電所も現在は存在しなく、「坊主山」って何処なんだろうと思ってたのですが、バスで案内された場所は、江別市霊園前の変電所が「坊主山」跡らしいです。

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昭和35年に火力発電所の建設工事が始まり、工事に追われるようにして遺跡の発掘調査が行われたそうですが、工事の進捗と共に坊主山は姿を消したそうです。ここ坊主山遺跡には墳基が1000基以上もあったといわれています。

それにしても跡形も無い変電所を見て、ここが「坊主山遺跡」と説明されても・・・私は、この時点で遺跡を甘く見てました。これが遺跡!と目に見える物など無いのです。

次は、後藤遺跡(江別古墳群)を下車見学です。

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ここは江別西ICや、国道275号線を利用する際に通る場所で、以前から気になってた遺跡跡なんですが、車を駐車する場所がなく立ち寄った事が無かったのです。

入口の階段に、なんかアリがやたらと多いと思いながらも、上へと進みます。

ここが後藤遺跡の江別古墳群です。

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確かに、何となくポッコリとした膨らみが残ってますが、郷土資料館の模型(ジオラマ)では、こんな感じなんです。

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全く模型とはイメージが違いますね。(-_-;) まあ、膨らみが確認できただけでもいいですかね・・・

それにしても、後藤遺跡(江別古墳群)の説明を聞いている状況じゃないのです。・"(>0<)"・

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写真じゃさすがに見えないのですが、入口の階段にいた大量のアリですが、階段を登ったこの場所(江別古墳群)一面がアリだらけ、まるでアリの巣に足を踏み入れた状態なのです。( ̄▽ ̄;)!!

助けてー・"(>0<)"・

地面に足を付けると同時に多数のアリが靴によじ登ってくるのです。とても言葉じゃ表現できないのですが、両足をのんびりと地面になんか付けてられません。片足上げては手に持ってた紙の資料で叩き落とすのに必死なのです。

こういう時って面白いもので、半数の人は私同様に必死にアリ退治で、後の半分は諦めてなのか何事も無かったかの様に動ぜず立ってます。

私は説明が終わると同時に、このアリの巣から逃げ出した・・・ということで、ここでの説明は何も覚えてません。いや聞いてませんでした。(;´д`)トホホ

ちなみに戻りながら写真を2枚ほどカシャ♪

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ここ後藤遺跡(江別古墳群)の裏側の旧豊平川沿いには、アオサギのコロニーがあるので、繁殖期には立ち入らないようにとの看板です。

そして、階段を登って来た際には死角で気が付きませんでしたが、ひっそりと江別古墳群を示す史跡がありました。

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以前から気になってた江別古墳群でしたが、このアリがいる限りは次回訪れることはありませんね。(-_-;)

徒歩で住宅街を右手に少し移動・・・

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旧豊平河畔遺跡(続縄文時代中頃、集落跡)、江別チャシ(1500年から1800年、祭祀場・集会・談合場・見張り場)です。

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とりあえず心配なのはアリですが、ここは大丈夫です。

集落跡ということで、地面には多数の円形が残っていると思ったら・・・

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この穴のようなもの自体は発掘調査した際に、きちんち埋めてない為だとか・・・これぞ遺跡と思ったのですが?

ここまでくると、私もこれが遺跡巡りの現実だと理解したのです。遺跡とは単なる場所?ですね・・・w( ̄o ̄)w オオー!

集落といえば人骨なんかも出てるのかと思ったのですが、江別の土は酸性ということもあり原形は留めて無いそうです。それと、そんなに地面深く無く、畑の下に直ぐ遺跡があるようなイメージだそうです。

その後は、企画である「野幌丘陵沿いにバスで遺跡をめぐろう!」と・・・

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車中からの遺跡付近を通過し説明を受けます。上記のような車窓からの景色なんで、頑張って想像を膨らませてますが、なかなかロマンを感じる事ができません。・"(>0<)"・

そうそう遺跡は140ケ所もあるので、その場所に行っても史跡が無いのも多数あるそうです。なんせ数が多いので予算の関係で、主だった個所だけだそうです。

ここが縄文時代晩期の土偶が発見された大麻3遺跡です。

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「・・・」

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日本最北端の土偶出土遺跡と車内では写真を用いた説明がありました。

郷土資料館の方では、実際の土偶が展示されてます。

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これ道指定文化財ですが、ロンドン大英博物館展覧会にも出品された土偶2体です。

ここも車中からですが、高砂遺跡です。

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あるお宅の畑ですが、ここから多数の土器や石器など遺物が発見されたそうです・・・あくまでも車窓から見えるのは、あるお宅の畑です。(-_-;)

ここ高砂地区からは100万点以上の遺物が出ているそうで、まだまだ発掘調査は完了してないそうです。というのもここは住宅地ですから、ここ2~3年は無いそうですが、もし住宅の建て替えがあれば、その際に調査をさせてもうらうようで、どこかで建て替えが無いか待ってるとか・・・

熊のペンダントなんかもあったと説明されてました。

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郷土資料館には上記のような遺物が展示されてたんですが、きっとこんなのが発見されたんですかね?それにしてもペンダントって、想像以上に出来が良いですよね。(#^^#)

最後は、萩ヶ岡遺跡を下車見学です。

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江別駅を降りると左手に丘があり(水道庁舎の後ろ側)江別神社の境内です。

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ここからは縄文時代中期の良好な土器がまとまって発見されたそうで、郷土資料館に展示されている土器の半数は、ここから発見されたものだそうです。

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こんな感じでバスは郷土資料館へ戻って来ました。

遺跡って現地を巡っても、イメージ出来なくて難しいですね・・・w( ̄o ̄)w オオー!

そんな身近に感じて無かった遺跡ですが、今回のバスで巡るで少しだけ江別の遺跡に触れる事が出来たので、江別ガイドブックシリーズ「江別の遺跡をめぐる」を郷土資料館で買ってみました。

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それと、もう一冊「江別を歩く~歴史ある建造物を訪ねて~」も気になったので買います。既に「史跡が語る江別の歩み」と「江別のれんがを歩く」は持ってます。

ちなみに江別ガイドブックシリーズは全5冊です。残りの未購入の一冊は「江別の自然を訪ねる」ですが、まだ気になる一冊になってないので買いません。

以上、2年ぶりに参加した再発見・江別探訪~バスでめぐる市内の遺跡~でした。

 


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