7100形蒸気機関車7106号「しづか」に会いに小樽市総合博物館へ行く [江別カルタ&江別探訪]
江別探訪の今回は、江別を出て7100形蒸気機関車7106号「しづか」に会いに小樽市総合博物館へ行って来ました。(#^^#)
江別カルタでは「陸橋を 渡る石炭 比羅夫号」と読まれています。
幌内鉄道に関しては、別な句で「国内で 幌内鉄道 三番目」と読まれているので、機会があればその際にと思うので、今回は幌内鉄道には触れません。主役は「比羅夫号」すなわち7100形蒸気機関車です。
北海道初の鉄道で活躍した7100形は8両です。その中で復元されたのは、義経、弁慶、しづかの3両で、7101号「義経」は、大阪の交通科学博物館(2014年4月6日閉館→2016年春に京都で開設予定の新たな鉄道博物館で展示予定)、7102号「弁慶」は、さいたま市の鉄道博物館、そして、7106号「しづか」が、小樽市総合博物館に展示されています。
小樽市総合博物館(小樽市手宮1-3-6)に到着して、受付で400円の入館料を支払います。硬券のしゃれた入場券を頂き、レトルト風の改札を通過して展示場に入ります。
もしかして入場時に硬券にパンチ入れるのかと思ったのですが、硬券もらった後は、勝手に入館するだけでした。(^┰^;)ゞ
館内に入って、直ぐにあるのが「しづかホール」です。
ホールの中央にドーンと存在するのが、7100形蒸気機関車7106号「しづか」ですね。(^_-)-☆
ホール奥の壁には、明治13年から明治22年の間にアメリカで製造し輸入された蒸気機関車8両のうち名称のついた6両の製造銘板が飾られています。
明治13(1880)年の幌内鉄道開業にあたりアメリカから輸入されたのが、義経と弁慶と名付けられた2両の7100形蒸気機関車です。幌内鉄道では義経、弁慶のあとにも断続的に同型機を増備し、明治14年比羅夫、15年光圀、17年信廣、18年しずか、22年に2両が輸入されました。愛称が付けられたのは7106号「しづか」まででした。今では当たり前の形式名(7100形)は明治39年に国鉄国有化後に与えられてます。
ちなみに義経と弁慶は、牛若丸の物語で知られてますよね。しずかは義経の側室・静御前ですから愛称が付けられた中の紅一点です。(^^♪ 光圀は「水戸黄門」で有名ですよね。蝦夷地の探索も行ったとされます。信廣は蝦夷地南部を統治した松前藩の始祖・武田信廣です。
句に登場する7103号「比羅夫」の製造銘板がこちらです。
比羅夫は7世紀に蝦夷地に遠征したと伝えられる武将・阿倍比羅夫です。
製造銘板って何処に付いているのか探してみます。
ありました!しづかの製造銘板発見です。
ここからは7100形蒸気機関車の特徴をチェックしてみたいと思います。
まずは、よく目立つ「ダイヤモンド型」の煙突です。
これ大きく膨らんだ部分の中で煙を渦巻かせて火の粉を下に落として、外への飛散を抑える仕組みなんですが、開拓期のアメリカでは石炭ではなく薪を燃料に用いてたからであり、後に単純なパイプ型に改装されれます。
先頭部のカウキャッチャー(排障器)です。
木製で動物などに衝突した際に衝撃をやわらげるために付けられたものです。一見、北海道ですから除雪に効果ありそうですが、そんな事は無かったんでしょうかね。(メ・ん・)?
正面の6は、7106号を表しています。
ボイラー胴の上に付けられた鐘が可愛いです。
市街地を走る際に鳴らしたようです。(^^♪
蒸気機関車といえば大きな車輪、動輪ですが、7100形は、私の腰の辺りの大きさです。
最初に輸入された義経と弁慶の2両には、先進的な空気ブレーキが採用されてたそうで、これ7100形の先進的なシンボルのように語られてますが、装備されたのは最初の2両だけ、その後の6両は値段の関係か旧来の蒸気ブレーキが付けられ、さらに、義経と弁慶も後年に蒸気ブレーキに改造されてます。
運転席の両サイドにはローマ字で「SHIZUKA」と表記されてます。
運転席を覗くと、計器類は少なくシンプルな造りです。計器はボイラー圧力計が付いているだけです。
運転席から見た前方の視界です。
機関車に接続された炭水車(テンダー)で石炭および水を積載してたんだと思いますが、美しすぎてピントきませんね。
炭水車の側面には大きく「しずか」と愛称が書かれてます。
最後に、館内2階から撮影した100形蒸気機関車7106号「しづか」です。
西部劇に出れくるような機関車のスタイルは、なんともアメリカンスタイルそのものですね。
以上、7100形蒸気機関車7106号「しづか」に会いに小樽市総合博物館へ行くでしたが、今回の話は江別探訪として7100形蒸気機関車を書きましたが、当然、小樽市総合博物館には沢山の車両が展示されているので、そちらの話は続きという事で・・・